公開: 2021年5月10日
更新: 2021年6月3日
資本主義の社会では、自分が獲得した資本を投入して、新事業を起こし、それに成功してより多くの富を得ることができる。さらに、そのようにして蓄積された富の一部を、その時点では社会に存在していない事業を考え、その事業化に投資すれば、自分の富はより豊かになる。つまり、最初から豊かな環境に育った人は、そうでない人々と比較すると、より大きな富を築く可能性が高い。
もし、このことが続けば、100年、200年後の世界には、豊かな家庭で育った人々以外に、新事業を考え、着手できる人々は存在しなくなる。かつての中世の時代、国王や貴族の血縁にある人々だけが、富を得て、富を大きくすることができた。産業革命が始まって、そのような国王や貴族だけが富を築ける環境は破壊され、誰でも、富を築くことができるようになった。にも拘らず、数百年で、また、似たような世界に戻ることになるのだろうか。
そのような問題意識から、20世紀に入った先進諸国では、公平な富の再配分が社会的課題となった。人口の少なかった北欧諸国では、所得税と付加価値税によって、多額の税金を徴収し、その税金から収入の少ない人々への給付を配布する、福祉国家の建設が推進された。そのような国々では、労働者でも給与所得の50パーセント以上が、税金として徴収されている。しかし、失業で相対的貧困に陥り、貧しさが原因で苦しむ問題はない。
1980年代末までの米国社会では、国家による所得の再配分よりも、個人の倫理観によって、豊かな人々が、貧しい人々の生活を助ける慣習が機能していた。これは、豊かな人々の間でも、「浪費は悪」とするプロテスタントの倫理観が息づいていたからだったと言える。しかし、米国社会全体が、長期の不況によって貧しくなったこともあり、1990年代に入ると、そのような個人の倫理観だけに頼った社会は行き詰まった。
2016年の大統領選挙では、民主党大統領候補の一人だったサンダース上院議員は、自らを「新社会主義者」と呼び、社会主義的な政策を掲げて、特に若者層の強い支持を受けた。しかし、急進的な変化を嫌うベビーブーム世代やその上の世代からの反感を買い、選挙戦の途中で辞退した。しかし、その4年後の大統領選挙でも、若者層からの根強い支持を得て、バイデン大統領候補と最後まで、指名を争った。
この戦いで問題になっていたのが、資本主義が行き過ぎた形で進んだだめ、社会における所得格差が拡大し、それが現在の働く世代だけでなく、若者やその次の世代にも悪影響を及ぼすことが明確になりつつあったことであった。政治に期待されていることは、社会全体で、所得の再配分の方法に関する合意を形成することである。そのような再配分の方法として、ベーシック・インカム制度が注目されている。
しかし、所得の再配分を公平にやろうとすると、複雑な問題が浮かび上がる。個人情報の重要な1つである、収入や支出を、どこまで、どのように国家が収集できるのかは、難しい問題であり、日本では、全く、手がついていない。米国社会では、社会保障制度と関係して、ある程度の把握はされているが、それで必要かつ十分かどうかは分からない。つぎに、どの範囲で、何を対象として資産を計算するかについても、合意はない。
土地の私有が認められている米国や日本では、個人資産として土地や建物は、重要になる。広大な土地や巨大な建物を親から継承した人々は、もともと裕福な人々であり、たまたま裕福な家庭に生まれただけで、その資産を継承できることは、必ずしも公平とは言えない。当然、社会的地位なども無形の資産の継承と考えられる。単に、金銭的な収入だけに限定すると、再び、社会的な不公平感を生み出すことになる。